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学校・楽団取材 インタビュー 2018.10.23

福島の中学校と、震災と、吹奏楽を愛した先生の話

福島県の南相馬市立原町第一中学校との初めての出会いは、2013年の全日本吹奏楽コンクールの会場、名古屋国際会議場センチュリーホールの「壁」でした。

そこには、東日本大震災の後、初めて全国大会に出場した原町一中の寄せ書きが張り出されていました。

 

福島県南相馬市は東日本大震災で地震と津波、さらに、福島第一原子力発電所事故の被害を受けた地域です。寄せ書きには、そんな苦難を経て全国大会にやってきた部員たちから、支援してくれた多くの人々への感謝の気持ちが記されていました。

 

私たち原町第一中学校吹奏楽部は東日本大震災や福島第一原発の事故により 一時は学校ごと隣の区にある小学校の体育館に移り、部活動も週に2、3回しか行えず 満足に活動ができない状況でした。
そんな中、吹奏楽連盟様はじめ、沢山の方々から様々なご支援を頂き、困難な中でも今回のように全国大会出場を果たすことができました。

 

この度はたくさんの支援をしてくださり、大変ありがとうございます。
感謝とお礼、そして、私達はがんばっているよ!ということを音楽に込めて演奏しようと思います。

 

私たちは、様々な地域の方々からの支援や応援をうけ、支えられています。
そして12年ぶりの全国大会の舞台へ立つことができております。
本当に、ありがとうございます。この感謝の気持ちを込めて演奏します。

 

↑全日本吹奏楽コンクールの会場に掲示されていた寄せ書き。

 

震災後2年、まだまだ復興が始まったばかりという状況で全国大会にやってきた原町一中のメンバーの言葉に胸を打たれました。

 

原町一中はこのときが6回目の全日本吹奏楽コンクール出場。福島県内でも有数のトップバンドのひとつでしたが、東日本大震災を境に部員数は減り、部活動も大きく制限される状況に直面しました。

しかし、その逆境を跳ね返し、再び全国の舞台に復帰できたのは、生徒と吹奏楽への深い愛情を持った顧問・阿部和代先生の存在があったからこそです。

柔らかく、上質で、シンフォニックな響きが特徴の原町一中サウンドは2013年、2014年と2年連続で全日本吹奏楽コンクールの会場に響き渡り、多くの吹奏楽関係者を魅了しました。また、オザワ部長も原町一中のファンになり、応援してきました。

 

原町一中と阿部和代先生は、「AKB(阿部和代バンド)」というユーモアを込めた愛称を名乗り、コンクールだけでなくコンサートや行事などで明るく元気に活動を続けてきました。阿部先生の夫で、かつて原町第二中学校を5回全国大会に導いた阿部裕治先生のバックアップもありました。

 

原町一中は、南相馬市が東京都杉並区と災害時相互援助協定を結んでいた関係で、毎年秋に杉並区で開催されている荻窪音楽祭にも招待され、東京の聴衆にも感動を与え続けてきました。ステージ上で阿部和代先生が訴えてきた「私たちのことを忘れないでほしい。知っていてほしい」というメッセージは多くの人の心に刻まれたことでしょう。

 

↑荻窪音楽祭で演奏する原町第一中学校吹奏楽部。

 

ところが昨年、オザワ部長が荻窪音楽祭に取材に行った際、耳を疑うような知らせが飛び込んできました。

 

阿部和代先生が病気のために今年度いっぱいで退職する。病名はパーキンソン病…。

 

衝撃とショックに襲われました。阿部先生と原町一中に、いったいどれだけの苦難が降りかかるのだろうか、こんなことがあってもいいのだろうか、と。

 

 

荻窪音楽祭は阿部先生が公の場で原町一中を指揮する最後のステージとなりました。しかし、ステージ上に現れた阿部先生は意外にも明るい表情でした。

演奏されたのは、この年の課題曲だった《スケルツァンド》、自由曲の《ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶〜》、ポップスの《前前前世》。特に、水爆実験の悲劇と希望を描いた《ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶〜》には、原発事故で放射能に脅かされた南相馬市だからこその思いが込められていました。

 

「私たちは生きている!」

 

そんなメッセージが音楽の中から聞こえてくるようでした。

ホルン、トロンボーン、オーボエなどが美しい旋律やハーモニーを奏で、全体が柔らかくブレンドされ、涙を誘う演奏となっていました。そして、阿部先生が指揮を止めた後、しばらく拍手が鳴り止まないほどでした。

 

 

荻窪音楽祭が終わった後、阿部和代先生にお話をお聞きしました。

 

今年は部員42人に運動部から3人を借りて、「AKB45」で活動してきました。3年生は毎年この荻窪音楽祭で引退なので、ここを目標に頑張ってきました。今年の3年生は育てるのに苦労をした学年です。ほとんどが中学から楽器を始めた初心者で、何度大きな声を出して指導したかわからないですが、今となっては自慢の生徒たちです。

私は病気になってしまったので、指揮をするときに腕がうまく動かないんです。今日も「う〜ん、困ったな」と思って生徒たちのほうを見たら、「先生、大丈夫だよ」というふうな表情で吹いてくれたので、私のほうが生徒たちに合わせました。今年は生徒たちに助けられた場面がたくさんありましたね。そのたびに「ありがとう」と言っています。

《ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶〜》を自由曲に選んだのは、福島の私たちだからこそ伝えられるメッセージがあると思ったからです。いつもはクラシックの編曲ものにこだわって選曲していたんですけど、いつか《ラッキードラゴン》をやりたいと思っていました。被災地の私たちの「忘れないで」という思い、「苦しいことはたくさんあっても、頑張って未来に進んでいきます」という思いが多くの人に伝わればと。

荻窪音楽祭は、コンクールではないのでタイムを気にする必要もないですし、音楽に没頭できたと思います。そして、あんなに鳴り止まない拍手をいただいて、本当に私たちは幸せだなと思いました。1年生の子たちは感激して泣いていました。ただ、演奏前から生徒たちには「泣かないで最後まで演奏するんだよ。先生も泣かないからね」と約束していましたので、演奏中は私も生徒たちも目をウルウルさせながら頑張りました。

東日本大震災から今まで、本当にいろんなことがありました。ありすぎたくらいです。それでも、がむしゃらに頑張っていると、いろんな人が助けてくれたり、いろんな人とつながることができたり、励ましやありがたい言葉をもらったりすることができました。私自身、震災後に生徒から「先生、音楽やろう。部活やろう」と言われて一生懸命やってきたので、子供たちがいなかったら頑張れなかったと思います。

病気でもう指揮はできないですけど、これからも「チーム原町一中」の一員として歩んでいきたいと思っています。

 

パーキンソン病という重い病を患いながらも、音楽とともに明るく進んでこうとする阿部先生の姿は、そのままこれまでの原町一中の歩み、そして、《ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶〜》のテーマにも通じるものでした。

 

 

 

その4カ月後、オザワ部長は横須賀芸術劇場で阿部和代先生と再会しました。原町一中の木管八重奏が全日本アンサンブルコンテストに出場したのです。

演奏が終わった後で客席を出ると、そこにはいつもの優しい笑顔の阿部先生がいました。

 

生徒たちも緊張しているはずなのに、自分たちのことより『先生、大丈夫?』って私のことを気遣ってくれるんです。

 

オザワ部長に向かってそう語った阿部先生の瞳は少し潤んでいるようでした。

審査の結果、原町一中は銀賞。先生にとって、教員として参加する最後の全国大会でした。

↑全日本アンサンブルコンテストでの阿部先生とオザワ部長。

 

2018年、阿部和代先生が退職されて数カ月が経ち、1枚のDVDがオザワ部長のもとに届けられました。

ずっと阿部先生と原町一中を追いかけていたドキュメンタリー映像作家・椎木透子さんの「この空を越えて」という作品でした。そこには、ここ数年にわたる阿部先生の歩み、原町一中の子供たちの姿がいきいきと描き出されていました。

そして、DVDに添えられた阿部先生からの手紙の最後は、こんな言葉で締めくくられていました。

 

現在の私は、昨年の映像の私より元気です。

 

 

今、阿部先生は外部講師として原町一中を支え続けているそうです。

吹奏楽を愛した阿部和代先生と原町一中の生徒たちの心温まる絆は、これまで多くの人に勇気と感動を与えてきました。今年も各地で多くの災害がありましたが、南相馬市も2011年の東日本大震災で大きな被害を受け、まだまだ復興の途上です。

原町一中の音楽が、「私たちを忘れないで!」という思いが、これからも日本中の人々に届きますように…。

 

 

●原町一中も登場する「中学生ブラバン天国」

 

 

 

 

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